2019年6月10日月曜日

ぬぬぬ2

「今回、浅香さんには私の管轄の世界に転移して頂きます。つまり、私が神として存在している世界です」

エルレシアはそう言って、一枚の書類を机に置いた。ヘッダーには「異世界転移同意書」とある。浅香は紙面に視線を落とし、その内容を目に通した。

『私は下記条項について同意致します。
1.私は異世界転移の内容、リスクについて説明を受け、十分に理解し、納得した上で転移を行う手続きをしたことを認めます。
2.私は異世界転移、及びその準備に当たり、関連して起こった死亡、負傷、その他の事故で私が受けた損害について、決して対して非難したり責任を追求したり、また損害賠償を要求したりしません。
3.私が起こした事故による損害については、私が責任をもって弁済致します』

なんだかひどく不安になってくる文言である。何が起こっても責任は取らない、という異世界転生局のスタンスが透けて見える。
浅香が書類から視線を上げると、エルレシアが口を開いた。

「私がこれから、浅香さんが降り立つ世界についてや、転移の方法とそのリスクなどについてご説明致します。分からないことがあれば、随時ご質問してくださって結構です。その後、その書類にサインをしてください」
「では早速ですが一ついいですか?」

浅香が小さく手を挙げる。エルレシアが「どうぞ」と言うのを待って、浅香は言った。

「私は未成年者ですが、異世界転移をするにあたって親権者の同意は必要ないのでしょうか。この書類には親権者の署名欄がありませんが」
「ああ、なるほど」

エルレシアはそう言って、続けた。

「日本では未成年者が契約する際に親権者あるいは法定代理人の同意が必要ですが、ここではそれは必要ありません。ここで言う年齢というものはあくまでも肉体の年齢であって、死んだ後にそんなことを持ち出すのはナンセンスではないですか」

確かにそうかもしれない。浅香は「なるほど」と頷いた。

「そもそも現在、浅香さんの親権は『神』にありますので、親権者の同意は既に得ております」
「……はい?」

浅香は思わず聞き返した。

「浅香さんを創造したのは『神』ですから、言わば『神』が浅香さんの親でしょう?」

エルレシアは小首を傾げ、当然のように言う。

「私は母の股から生まれてきたのですが……」
「それは今の浅香さんの肉体を産んだ、ということに過ぎません。浅香さんの存在、あるいは魂と言うべきものを産んだのは『神』なのです」
「そ、そういうもんですか」
「そういうもんです」

ともかく、後は自分が同意さえすれば異世界転移ができる、という状態であるらしい。浅香はなんとか自分を納得させた。そういうもんだ、そういうもん。

「まず、異世界転移の手段についてご説明致します」
「あ、すみません。その前にもう一つ……」

浅香は口を挟み、さらに疑問を投げかけた。

「そもそも、私は何故異世界転移をすることになったのでしょうか。普通の人間は、死んだらそれでおしまいですよね」
「なるほど、確かにそのあたりの説明が不十分でしたね。申し訳ございません」

エルレシアはそう言って深々と頭を下げた。浅香も思わず「いえいえ」と頭を下げる。エルレシアはその様子を見て困ったように笑うと、浅香の顔が上がるのを待って言った。

「結論から申しますと、浅香さんの住んでいた世界の『天国』が過密状態にあるからです」

沈黙。
浅香はエルレシアの様子を窺った。もしかすると今のは冗談であるかもしれないと思ったのだ。しかし、エルレシアは至って真面目な表情で浅香の反応を待っていた。

「……えーと、だから他の世界に回してしまおうということなのでしょうか」
「端的に申せばそういうことです」

エルレシアは鷹揚に頷いた。

「浅香さんの世界では少子化の影響で、いわゆる輪廻転生が潤滑に行われず、『天国』に留まらざるを得ない魂が多数いるのです。ひいては『天国』に行くことが出来ず現世に留まる魂も増えています」

待機児童じゃあるまいし。浅香は脳内でツッコミを入れる。エルレシアはなおも続けた。

「同様に『地獄』の釜の数も足りず、にも関わらず次々に来る受刑者の対応に迫られ鬼達もてんてこ舞いだとか」
「た、大変なんですね」
「その点、私のところの世界はまだ発展途上ですから、回転率が良いのです。浅香さんがまたいつお亡くなりになっても収容可能ですよ。『天国』でも『地獄』でも」

ははは、と浅香の口から力無い笑いが漏れた。
もう何を言われても動揺すまい。そういうもん、そういうもん……。

「転移の理由についてはこれでよろしいでしょうか」
「はい」

浅香が諦めたように頷くのを満足げに見届けると、エルレシアは次の説明に移った。

「では、異世界転移の手段についてお話します」
「お願いします」
「私がテレポートでお連れ致します。以上です」

これ以上なく簡潔な説明ですね。まず「転移」の手段について説明するのに「テレポートします」ってそれ説明になってなくない。浅香は色々と言いたかったが、なんとかそれらを飲み込んだ。
確かに、エルレシアは度々どこからともかく物を取り出すということをしていた。その能力をもって浅香を異世界に連れて行ってくれるのであろう。そういうもんだ。

「……リスクはどうなんでしょう?」
「そうですね……」

エルレシアは暫く唸ると、やがて浅香に一つ尋ねた。

「浅香さんは、心臓ペースメーカーなど、身体に埋め込む医療機器はご使用になられてはいませんよね?」
「はい」
「では、特にリスクはありません。私のテレポートの手腕にかけて浅香さんを転移させて頂きます」

エルレシアはそう言って力こぶを作るような仕草をした。
不安だ。この神なんか大事な時に限ってやらかしそう。浅香はそんな思いを表に出さないよう細心の注意を払いつつ「お願いします」と言った。

「では次に、浅香さんがこれから向かう世界についてご説明させて頂きます」

エルレシアは中空から一冊の本を出現させると、浅香に手渡した。

「こちら、我が局で発行しております『ガイドブック』です」

目が痛くなるような派手な表紙に「異世界」という文字が大きく記されている。パラパラとページをめくってみると、観光地の案内や、「ここに来たらここに食え!」といった郷土料理を紹介する記事などがこれでもかと言わんばかりに載っていた。るるぶみたいだ。

「こちらは転移の際にもお持ち込みいただけますので、第二の人生に役立てていただければ幸いです」

自分がこれを片手に街を歩く姿を想像してみる。転生者と言うよりもどこからどう見てもただの観光客だ。

「自然に溢れたいいところですよ」

エルレシアは満面の笑みを浮かべて言った。
それはド田舎ということではないのか。

「魔物なんかはいるんでしょうか?」
「魔物は……まあいますけど、まあそれも味ですよね」

味なんていらねえんだよ。海苔じゃあるまいし。浅香はなんとか踏みとどまり「そうですね」と言った。

その後暫く時間が取られ、その間に浅香はるるぶをパラパラと読み通した。読んだ限り、向かう世界はいわゆる「中世ヨーロッパ『風』ファンタジー世界」であるらしい。馬車が走り、魔法が飛び交い、魔物が跋扈する、なんだかテンプレート染みた世界だ。だが食文化は割と発達しているらしく、食事にはあまり困らなさそうだ。浅香は外国に行っても最終的にマクドナルドしか食べなくなってしまうタイプであったので、これには大いに助かった。

「それでは私の方からの説明は終わりました。なにかご質問はありますか」
「今のところはありません」
「ありがとうございます。では、同意書にサインをお願いします」

浅香は同意書に丁寧に署名した。思えば浅香伊織という名前は両親から受け継いだ苗字と、両親につけてもらった名前であるのだが、その名前でサインしてもよいのだろうか。これはあくまでもこの肉体の名前であって、ここにサインするのは戒名とかそういうものでなくてはいけないのではないか。浅香は思ったがエルレシアが何も言わないので、まあそういうものなのだろうとそのままサインを終えた。

「ハンコが無いんですが……」
「拇印で結構です」

浅香は朱肉で親指を朱く染め、それを書類に押し付けた。これも母から貰った体の一部なのだが、それで構わないのか。書類としての効力が重要なのでなく、書類を整えることが儀式として必要なのだろうか。ともかく、それで書類の記入欄は全て埋まった。

「お手数お掛け致しましたが、これで手続きは終了です。お疲れ様でした」

エルレシアは書類を検めたのち言った。浅香はようやくひとごこちついた気分になった。

「そして、異世界転移を行うに当たり、異世界転生局より浅香さんにプレゼントがあります」

エルレシアはそう言って、また一冊の本を取り出した。今度の本はるるぶよりもかなり分厚い。何かのカタログのようだ。

「転移者への特典として、何か特別なアイテムを差し上げます。一応カタログを用意致しましたが、これに載っている以外にも要望があればご用意できますので、お気軽にお申し付けください」

サービス精神旺盛だな、異世界転生局。
浅香はカタログを開いてみる。そこには台所用品から、カラシニコフや携行無反動砲などの現代兵器、あるいはエクスカリバーなどの伝説上の武器に至るまで、様々な物品が並んでいた。

「要望があれば、というのはどういうことでしょう」
「浅香さんの要望を実現するため、私共ができる範囲で努力させていただきます」
「何でもいいんですか?」
「私共のできる範囲で、です。まあ神様の言う『できる範囲』とはかなり広いとは思いますが」

要はひとつ願いを叶えてくれるらしい。太っ腹なことだ。しかし、こういう時に何を頼むのが正解なのだろう。浅香は「無人島に何か一つ持ち込むとしたら」ということは考えたことはあっても、「異世界に何か一つ持ち込むとしたら」ということは考えたことがなかった。
ただ、カタログにあるような単に強力な武器や道具を貰っても面白みが無い気がする。浅香はその線は捨てた。

エルレシアは「アイテムを差し上げる」と言った。ということは物質でないものは対象外だという事だ。永遠の命だとか若さだとかは指定できない。
となると、何を頼めばよいだろうか。神に願うに相応しいものなど、後は富くらいしかないのではないか。

その時、浅香は天啓にうたれた。
傑作だ。神に願うべきものと言えば、これしかない。

「ギャルのパンティー……」
「え?」

思わず口に出していた。浅香は慌てて弁解しようとする。

「あ、いえ、何でも──」
「その願い、叶えてしんぜよう」

どこからかそんな声が聞こえた。目の前のエルレシアの声ではない。その声はエルレシアにも聞こえたようで、彼女は慌てた様子で立ち上がった。

「待ってください!  今のは彼の冗談で──」

エルレシアの声が聞こえたのはそこまでだった。突如、浅香の周りの景色が歪み始めた。まさかこれは、転移が始まっているのか。エルレシアが直々に送り届けてくれるはずではなかったのか。その彼女は、浅香のそばにいる何かに向けて大慌てで話しかけているような仕草を見せる。

何だ。なにが起ころうとしている。
考え始めようとした瞬間、浅香の意識は刈り取られた。
彼が次に目覚めた時、彼の手には純白のパンティーが握られていた。

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