2019年6月20日木曜日

ぬぬぬ9

「屋敷というより、城だなこりゃ」

ファーラ伯の屋敷を見上げ、その迫力に圧倒されつつ浅香は言った。

その屋敷は堀に囲まれた丘の上にあった。恐らくこの丘は自然のものではないだろうと浅香は思った。堀を掘る(?)時に出た土砂を積んだものだと思われる。

丘の下にはレンガ造りの建物が立ち並んでいた。町だ。先程浅香たちはその街道を通ってきたが、そのよく整備された様子に浅香は驚いた。道はしっかりと石畳で舗装されていたし、街路樹まで植えられている。まるで観光地だと浅香は思った。街とは言えないが町くらいなら名乗れるような、そんな規模の都市だった。
浅香はエルレシアが「最寄りの街まで80km」と言ったことを思い出す。距離的に、どう考えてもそれはここのことではない。もっと大きい都市が存在するのだろう。大手を振って街と呼べるような。

さて、浅香が城と形容したように、その屋敷は凄まじく堅牢な作りをしていた。石造りの壁が周りを取り囲み、その中に塔やらなんやらがそびえ立っている。その壁面には銃や弓矢で攻撃するためにあるであろう小窓が所々に見受けられた。明らかに敵の襲来を前提とした作りだ。
それだけなら城というよりも要塞だが、浅香がこの屋敷を城と形容した一番の理由は、屋敷そのものが物凄くでかいということだった。浅香は城といえばシンデレラ城か近所のラブホテルしか思い浮かばなかったが、前者程ではないとしても少なくとも後者以上の大きさはある。生前浅香が生活していた家の数十倍は延床面積があるだろう。掃除が大変そうだ。浅香は使用人たちの苦労に思いを馳せた。

「こちらです」

エステルが浅香とエルレシアを先導し、ずんずんと歩いていく。それを追いかけるように浅香たちは歩いた。
城壁の門をくぐり抜けると、これまたバカでかい庭が現れる。地面には芝生が敷き詰められており、綺麗に枝を切り揃えられた植木や、色とりどりの花壇が浅香たちを迎えた。この規模の庭園の手入れとは、庭師の苦労が窺える。

初めて東京に出てきた田舎者のように周りをキョロキョロと見渡しつつ浅香は歩き、たっぷり10分ほど歩いてやっと三人は屋敷の玄関扉までたどり着いた。扉まででかいのだなと浅香は思った。

「素晴らしいお庭ですね。少しこのお庭を見て回っていてもいいですか?」

エルレシアが言った。確かに浅香にも少し見て回りたい気持ちはある。

「構いませんよ。ではその間に私は主人に事の次第を伝えて参ります」

エステルはそう言って一礼すると、扉の内に入っていった。エルレシアはそれを見届けると、浅香の方に振り返る。

「ほんと、すごいお庭ですね」
「ああ、すごい」

浅香はため息をついた。目眩がする。日本の狭い土地に慣れた浅香にとっては、拒否反応が出るほどの広大さ。庭と言うより自然公園だ。

「カバン、ありがとうございました」

エルレシアは言った。突然なんのことだろうと思ったが、そう言えば自分はクソ重い背嚢を背負っていたのだったと思い出した。

「ん、ああ」
「少し貸していただけますか?」

貸すも何も元々お前のものだろう、と思いつつ浅香は背負っていた背嚢を下ろし、エルレシアに返した。するとエルレシアはそれを地面に下ろし、中身を漁り始める。

「何してるんだ?」
「お昼にしませんか? ここにレジャーシート敷いてお弁当食べたら、きっと気持ちいいですよ」

いや、人んちの庭で勝手に飯食うのはダメだろ。自然公園じゃねーんだぞ。

「……多分飯出してくれるんじゃないか?」
「あ、確かにそうですね。今はやめときますか」

もう昼時だ。この時間に客を呼び寄せたら、普通昼飯くらいは出す。エルレシアは納得しつつも残念そうに、途中まで引き出していたレジャーシートを再びしまった。

「じゃあバドミントンしましょう! バドミントン!」

エルレシアはそう言って、バドミントンのラケットとシャトルを取り出した。そのうちひとつを浅香に渡す。うーん……人様の庭でバドミントンするのは……セーフか?

「ほらほら、もうちょっとそっち行ってください」
「うーん……」

結局浅香が結論を出せないうちにバドミントンは始まった。
白いシャトルが放物線を描き、浅香のもとへと飛んでくる。別に勝負してる訳でもないので、浅香も大きく山なりにシャトルを打ち返した。小気味いい音を立てて、シャトルが浅香とエルレシアの間を往復する。
……本格的に自然公園に来てる気分になってきた。

「浅香さん、もっとちゃんと打ってくださいよ」

エルレシアが浅香の緩いショットを打ち返しつつ文句を言う。

「えー、バドミントンって本気でやったらすごい疲れるじゃん」
「疲れましょうよ」
「いや、汗だくで屋敷に入るのも失礼だろ……」

この世界シャワーとかあるんだろうか。そういやそもそも中世ヨーロッパではお湯を張った風呂に入る習慣がないと聞いたことがある。浅香はこの世界で生きていけるかどうか不安になってきた。

とは言え、確かに延々とシャトルを打ってるだけでは面白くないので、お遊び程度に試合をすることにした。その辺に生えてた木2本に紐を結びつけて、ネット代わりにする。……人んちの庭の木に紐を結びつけるのはどうなんだ……いやバドミントンしてる時点で今更か。浅香は開き直ってしっかりと紐を括りつけた。
さすがに芝生にラインを引くわけにはいかないので、その辺は適当に決めた。

「よーしいくぞー」
「ちょっと待ってください」

浅香がサーブを打とうとすると、エルレシアがそれを止める。

「罰ゲームを決めましょう」
「えぇ……めんどくせえ」

浅香は露骨に嫌そうな顔をする。浅香には罰ゲームというものにあまりいい印象も思い出もない。むしろあるやついるのか。

「語尾になんか付けるとか?」
「ちょっと軽すぎません?」
「じゃあ丸刈りとか」
「極端すぎやしません!?」
「じゃあ落とす度に爪を1枚剥ぐとかでいいか?」
「罰というより拷問ですよそれは!?」

ああ、こいつの反応面白いなあ……。エルレシアの打てば響くようなツッコミに浅香はしみじみと感動する。エルレシアは一つため息をついて言った。

「浅香さんが負けたら、私にちゃんと敬語を使ってください」

エルレシアは浅香が急に敬語をやめたのが大層気に入らなかったらしい。生意気だなこいつ、パンツ穿いてないくせに。

「じゃあお前が負けたら俺にタメ口で話せよ」
「いいでしょうとも」
「インチキは無しだぞ。魔法とか」
「もちろんです」

そうして試合が始まった。白いシャトルをひたすらに追う二人の戦いは、筆舌に尽くしがたいほどに熾烈を極めた。

「おい! 今のは入ってるだろ!」
「アウトです! ここがラインって決めたじゃないですか!」
「だから今その中に入っただろうが!」
「いーや、外でしたね!」

「あ! 今サーブの時足が浮いてましたよね! 反則ですよ!」
「はあ? 知らねえよそんなルール! それ言ったらお前だってずっと上からサーブ打ってるだろ! 反則だぞ反則!」
「あー! ライン踏んでるー! やーい反則ー!」

「今のはネットの下通ってたぞ!」
「いえ、どこからどう見ても上でした!」
「明らかにこの紐に当たって下に落ちてただろ!」
「だから! この上をギリギリカスリつつ通って下に落ちたんですよ!」
「あー分かった! お前バカだな!? バーカバーカ!」
「はああああああああ!? 自分の都合が悪くなったら人格攻撃ですか! 最低ですね!」

実に爽やかである。
スポーツマンシップに則り、そうして浅香とエルレシアがネットを挟んで睨み合っているとき、ふと浅香は第三者の視線を感じた。浅香がその気配の先を見ると、一人の少女が物珍しそうに浅香たちを見ていた。ここで働いている使用人の子供だろうか。

「おーい少年! 一緒にやろうぜ!」
「あ、自分が負けそうだからって……」

エルレシアの文句を無視し浅香は少女に向かって手招きする。少女はそれを見ていそいそと走り寄ってきた。浅香はその手にしっかりとラケットを握らせる。

「いいか、この棒でこの白いのを打って、あの綺麗なねーちゃんの顔にぶち込むんだ」
「うん!」
「子供を使うのはやめてください!」

浅香がある程度ルールとラケットの振り方を指導すると、少女は数分後には達者にシャトルを打ち始めた。浅香たちが「楽しそうに」「和気あいあいと」やっているのを見て、ある程度学習したのであろう。浅香が筋がいいと褒めると、少女は満面の笑みを浮かべた。さすがのエルレシアも子供相手となると、高く山なりに打球を返していた。

浅香は即席のコートから離れ、玄関扉辺りからシャトルの行方を見守り始めた。
正直浅香はだいぶ疲れていた。20kgの荷物を背負って5km近くを歩き通し、その後に休憩無しで本気のバドミントンを行ったのだから当然である。
エルレシアが恨みがましげに浅香を見た。子供の体力は無尽蔵だ。せいぜいぶっ倒れるまでバドミントンに興じるがいい。浅香は口元に薄ら寒い笑みを浮かべた。

しばらくそうして和やかなバドミントンを観察していると、玄関の方からバタバタと音が聞こえてきた。間もなく扉からエステルが姿を現した。

「エステルさん」
「あ、浅香さん、お待たせしまして申し訳ございません!」

エステルは玉のような汗を顔に浮かべていた。その顔は青い。彼女がかいているのは冷や汗のようだ。

「どうかしたのですか。随分と忙しそうですが……」
「それが、屋敷の中に閣下の姿が見えないのです」

まあこんなに広い屋敷だと人を探すのも一苦労だろうなあ、と浅香は思う。「時間ならありますから待ちますよ」と浅香が言おうとした時、エステルの視線が自分の背後に向いているのに気づいた。無論、浅香の後ろではほのぼのとバドミントンが行われている。

「ああ、すみませんお庭で勝手に遊んでいて……これは──」
「か、閣下……!」

エステルは驚きの色を隠さず言った。
閣下? 恐らくエステルの主人のことだろう。今、出先から帰ってきたところなのだろうか。とりあえずご尊顔を拝見しようか、と浅香は振り返り門の方を見る。
しかし、そこにはやはりシャトルを追いかける二人の姿しかない。

「おー、エステル! 楽しいぞ、これ!」

少女がこちらを横目に、満面の笑みで言った。

あー、これは、文脈からすると……。浅香はエステルの方に視線を戻す。エステルは、何か諦めたような顔をしていたが、やがて口を開いた。

「……あちらが我が主、ファーラ伯クロエ様です」

クロエは楽しそうに白いシャトルを見上げ、追いかけていた。

ぬぬぬ8

「い、今のはマリーさんの魔法ですか?」

エステルが落とした剣を拾うことも忘れて、こちらに振り返りつつ言った。その顔からは完全に血の気が失せている。 鳩がアハトアハトを食らったような顔だ。

「ええ……どうかしましたか? 顔色がよくないですが……」

エルレシアは心配そうにエステルの体調を気遣う。

「あの、威力がおかしいと思うのですが……」

エステルは恐る恐るそう口にした。エルレシアはそれを聞くと、不安げな顔を浅香の耳元に寄せる。

「おかしいって、弱すぎって意味ですよね?」

しばいたろかこいつ。

「お前、手加減ってやつを知らんのか」
「手加減しましたよ。本気で」
「なんでその上で選択するのがイオナズンなんだよ。明らかに過剰火力だろ」
「ガンガンいこうぜじゃなかったんですか」
「今から作戦変えるわ。めいれいさせろ」

確かに、エルレシアはきちんと手加減をしたのだろうと浅香は思った。エルレシアの「本気」からすると、今の爆発は余りにも小規模だ。エルレシアが本気を出せばビッグバンだろうがビッグクランチだろうが容易に引き起こせるだろう。それと比べると、今の魔法はまだ人間の域に収まっているように思える。
にしても、やりすぎだ。この世界の魔法についてほとんど知らない浅香だったが、あのレベルの爆発を涼しい顔して起こすことができる人間は限られているだろうことは分かる。

エステルは色の無い唇を震わせつつ言った。

「今の魔法は明らかに上級魔法以上の威力でしたが、それを無詠唱とは……」
「すみません、ビックリさせてしまいましたか。撃つ前にお伝えしておけばよかったですね」

エルレシアがズレた謝罪をする。

「いや、まあ突然爆発が起きて驚きましたが、そういう問題では……」

エステルはそこまで言って、ふと何かに気が付いたような表情を浮かべた。そこからは早かった。彼女は洗練された素早い動きで跪いたのだ。

「し、失礼いたしました! お二方は、名のある魔術師様だったのですね!」
「え」

エルレシアが呆けたような声を出す。

「アウルベアを無傷で討伐されていることから気づくべきでした。ご尊顔もご芳名も存じ上げておりませんでしたのは、私の不勉強のためです。どうかお許しください!」

エステルは顔を上げることなく言った。エルレシアは困ったような顔を浮かべ、浅香に目線を送る。浅香はそれを受けて、言わんこっちゃない、とため息をついた。

「あー、顔を上げてください」

浅香はエステルの前にしゃがみこんで言った。エステルは素直に顔を上げた。
近くで見ると整った顔だ。エルレシアの神がかった容姿とは趣向が違うが、普通に可愛らしい。年の頃は浅香とそう変わらないのではないか。浅香はそんなことを考えながら口を開いた。

「あなたが私たちの顔を知らないのは当然です。先ほど彼女が言った通り、私たちは東の大陸から来たのですから」

ちょうどこの先の身の振り方をどうするか迷っていたところだ。そういう設定にしよう。俺たちは他の大陸から来た魔法使い。世間知らずなのはご愛嬌、ということで。

「それに私たちは何か功をあげたということもないので、名のある魔術師というわけではありません。ですのでそこまで畏まる必要はありませんよ」
「では──」

エステルが何か言おうとしたのを、浅香は彼女の顔の前に手を近づけて制した。

「あなたが言いたいことは分かります。ですが今はそれを飲み込んでください」

別に何を言わんとしたのかは知らんが、そういう風に言ってみる。こうしておけば、何かしら人に言えないような事情があるんだろうと察してくれるだろう。実際それが効いたのか、エステルはそれ以上何も言うことなく「……承知いたしました」とだけ言った。

「ほら立ってください。早くあなたのご主人の屋敷に向かいましょう」
「そ、そうですね。失礼いたしました」

俺の催促にエステルは慌てた様子で立ちあがると、退屈そうに草を食んでいた馬の手綱を引いて歩き始めた。

「嘘がお上手なんですね」

エルレシアが浅香の横まできて、皮肉めいた口調で言った。真面目な顔をして嘘を並べる浅香がおかしかったのだろう、その口元には薄い笑みを浮かべている。

「先に嘘ついたのはお前だ。何だよ東の大陸って」
「咄嗟に思い付いた設定がそれしかなかったんですから仕方ないじゃないですか。それとも記憶喪失の方がよかったですか?」
「陳腐だな。手垢ベタベタじゃないか」
「王道だと言ってください」

まあ記憶喪失よりは異邦人だって方が説得力はあるかもしれない。
ただ異邦人という設定には大きなリスクが存在する。「同郷」の人間が現れた場合だ。そこで話に齟齬が出ると致命的だ。一気にボロを出すことになるだろう。
ならいっそ最初から真実を話してしまえばよかったのではないか。

「転移してきたってばらしちゃうのはダメだったのか?」
「浅香さんが不審者に言われたらどう思います? 私は他の世界から来たんだって」
「こいつやべえやつだなって思う」
「ですよね」

それもそうだ、と浅香は納得した。
そして浅香は前を歩くエステルの背中に目を向けた。彼女はどれだけ今の設定を信じてくれただろうか。
彼女の立場からすると、自分たちはどう見えるだろう。任務を遂行しようと森に向かったら、妙な服を着ている男女二人が先に目標を倒してしまっていて、そいつらは物凄い魔法を使える。どうやら二人は東の大陸から来たようで、彼らがここにいたことには、人には言えないような理由があるらしい……。
怪しい。設定を疑うとかじゃなくて、設定を受け入れた上で怪しい。人に言えない理由ってなんだよ。スパイか何かにしか思えねーぞ。
ここは不信感を拭うために和やかにコミュニケーションを取るべきだろう。浅香はエステルに向かって口を開いた。

「エステルさんのご主人とは、一体どのような方ですか」

なんかスパイが内情を探ろうとしてるようにしか聞こえんぞ。浅香の反省をよそに、エステルは浅香の方に振り向いて言った。。

「ファーラ卿ですか。どのような、と聞かれると困ってしまいますね……」

実際エステルは困ったような笑いを浮かべていた。
エステルは主人をファーラ卿と呼んだ。卿とは確か「ロード」のことで、侯爵やら伯爵やらに付くはずだ。ファーラは先のエルレシアとエステルの会話からするとここの地名。つまりファーラ卿はここファーラを治める大名、いやどちらかというと守護地頭みたいな? まあともかくそんな感じだろう。

「立派な方ですよ。聡明ですし、それに民の声をよく聞く、よき為政者です」

豚みたいに肥えた悪徳領主、みたいなのではないんだな。政治家と聞くとそういうイメージが浮かんでしまうのは何故だろう。

「エステルさんはジュウキシなのですか?」

エルレシアが訊いた。
重騎士? どこからどうみても軽装だけど……。エステルは鎧を着ていない。鎖帷子だけだ。騎士といえばプレートメイルでガチガチに防御を固めているイメージがあるが、エステルの姿はその真逆にある。

「ええ。まだ17ですから……」

あ、ジュウキシって従騎士か。恐らく騎士見習いみたいな感じだろう。だから鎧をつけていないのだろうか。

「私と一つ違いなんですね」

浅香が言った。エステルは意外そうな顔をする。

「え、そうなんですか」
「そんなに老けて見えますか……?」
「い、いえ、そういうわけでは……」

エステルが慌てて弁明しようとする。
確かに生前にも老けてる老けてるとは言われていた。何度か高校で生徒の父兄だと間違えられたこともあるくらいだ。まあ別に気にしていない。気にしてないけど。

「そんなにお強いのに、まだ18歳とは思わなかっただけで……」
「16歳です」
「す、すいません……」

気にしてないけどさあ!
横でエルレシアがクスクスと笑っているのが見える。むかつくな、パンツ穿いてないくせに。……そういえばこいつは何歳なんだろう。神様だしな……あまり触れない方がいい話題かもしれない。

というか「お強い」って、いつの間にか自分もエルレシアと同等の戦闘能力を有していると思われているんじゃないか。確かにアウルベアとやらは倒したけど、それはチート染みたパンティーあっての勝利であったし、なによりパンティー込みでもエルレシアの能力には全く届かない。……まあ強いと思ってくれてる分にはいいか。なんとなく気分いいし。

浅香が色々考えていると、いつの間にか会話が途切れていた。何となく気まずい雰囲気が漂っている。何か話題を探さないと。そうだ、女の子と話すときはとりあえず服とかを誉めればいいっておじいちゃんが言ってた。浅香は早速先人の教えを実行に移す。

「そのお召し物、いいですね」
「本当ですか!?」

エステルが急に浅香の方に距離を詰めてくる。予想以上の食いつきに、浅香は一歩後ずさった。

「え、ええ。確かそれってタバードって――」
「いいですよね! チェーンメイル!」

そっちかよ。 エステルは嬉しそうに続けた。

「他の騎士たちはみんなプレートアーマーの方がいいって言うんですよね。確かに全身に装甲があるのは安心感あるかもしれないですけど、あれめちゃくちゃ重いし、暑いんですよ! 兜とか装備すると夏場とか暑いわ蒸れるわ、息苦しいわ周りよく見えないわ、それに音とか何も聞こえないわでほんと最悪で……しかもそれ我慢して着ても、大した防御力じゃないんですよ。矢とか普通に刺さりますし、魔物の爪とかゴブリンの棍棒とかで叩かれたら、ものすっごく痛いんですよ! それでへこんだりするたびに修理しないといけませんし、お金がかかるったらありゃしない!」
「は、はあ……」
「それで一番最悪なのがですね、値段です! 高い! オーダーメイドだから仕方ないのかもしれませんが、信じられないくらい高いんですよ。もうアホかと!」

なんか知らんがエステルは鎧の愚痴を吐き出し始めた。立て板に水、というよりダムの放水と言った感じで一方的にまくしたててくる。浅香としては鎧の着心地の話など知らないので、適当に相槌を打つことしかできない。

「その点鎖帷子はいいですよ。まあ矢とかには無力ですが、刃物相手には十分な防御力がありますし、動きやすいんです。それに何より安い! 浅香さんもその服の下に着こんでみてはいかがでしょう!」
「ま、まあ考えておきます」

通販番組か。
浅香が圧倒されながらも頷くと、エステルは満足げに引き下がった。
好きなジャンルの話になると途端に饒舌になるやつっているよな……。浅香は今後エステルに装備関係の話を振らないことを決意した。

2019年6月19日水曜日

ぬぬぬ7

浅香たちは森を抜け、平原を歩いていた。整備されているとは言い難いが、一応草を刈られた道が存在している。エステルはこの道を馬で駆けてきたのだろう。今は彼女は馬を引連れて歩いている。馬は文字通り道草を食いつつ歩いていた。

「平原にも森があるんですね」

浅香は物珍しそうに遠くにある森を見た。浅香には森のイメージが富士山の麓の青木ケ原樹海くらいしかない。平野に森が広がる光景は新鮮だった。

「珍しいですか? 大体森ってこんなものだと思いますが」

エステルが不思議そうな顔をして言った。

「あー、山の手の出身なもので、山麓にある森しか知らなかったのです」
「なるほど、そうでしたか」

エステルは納得いったふうに頷いた。
彼女によると、この周りにはこのような森はかなり多いのだという。というかやはり地表の6割ほどは森に覆われているらしい。ほとんど開発は進んでいない。その理由としては魔物がいるということもあるらしいが、主な要因としては──

「エルフ?」
「はい。まあ彼らからすると森は住処そのものなので仕方ないのかもしれないですが……」

そう言えばガイドブックに、多種多様な人種がいると書いてあった気がする。エルフが「人」なのかは知らないが。しかし聞いている限りちゃんと共存できているとは思えない。

「森の伐採をめぐって一度エルフと戦争が起こったこともあるのですが……ご存知ありませんか?」
「あはは、世間知らずなもので……」

なんかいきなりボロを出しまくっている気がする。そら文化も歴史も知らない世界に放り込まれたらこうなる。
エステルは浅香を訝しげに見つめていた。浅香は助けを求めてエルレシアの方に目を向ける。エルレシアの姿は無い。浅香が後ろを振り返ると、エルレシアは浅香とエステルにかなり遅れて一人歩いていた。
浅香はひとつため息をつくと「ちょっと待って頂けますか?」と言った。エステルが了承すると、浅香はエルレシアのもとへと向かう。

「大丈夫か?」
「す、すみません……あまり歩き慣れていないもので……」
「普段からファストトラベルばっか使ってたら、いざ必要な時に道を忘れるみたいなものだな」
「ちょっと違う気がしますが……」
「その後ろのやつ持つから、寄越せ」

浅香はエルレシアの背嚢を指した。エルレシアは最初固辞していたが、浅香が「いいから」と言うといそいそと荷を下ろした。浅香はそれを背負う。重い。なんだこりゃ。一昔前の不良みたいに鉄板でも入れてるのか。

「何入ってんのこれ」
「お弁当とか、水筒とか、レジャーシートとか、折り畳みの机とか、あとバドミントンのラケットとシャトルとか、あと色々です」
「お前のカバンはドラえもんのポケットか?」
「まあ、そんなものかもしれません。そのカバンは体積を気にせずものを詰め込むことが出来るマジックアイテムなのです。ちなみに耐久重量は300kgです」

なんて便利な道具なのだろう。300kgなら曙どころか小錦でも入れられるんじゃないか。いや、力士をカバンに入れなきゃいけない用事なんて、死体遺棄くらいしか思い浮かばないのだけれど。
今のカバンは20kgくらいの重さがあるように思える。エルレシアが今挙げたような物品だけではそんな重さには至るまい。「あと色々」って何が入ってるんだよ。ちゃんと持っていくものは事前に取捨選択しなさい。おやつは150円まで。
まあそれは今はいいか。あとでバドミントンしよ。浅香は背嚢をしっかりと背負い直した。

「そう言えば今、エルフとの戦争の話になったんだけど、何か知ってる?」
「100年くらい前に大きな争いがあったのですよ。森の木を切る切らないで。戦争は長期間に渡り、それで人もエルフもお互い疲弊してしまったので、伐採量に制限をつけることで折り合いがついたのです」

そうは言うが、それってエルフにものすごく不利な約束じゃないか。木は切ってしまえば直ぐには生えてこない。少しずつとはいえ、切っていけばいつかは森はなくなってしまう。そうなればエルフはどこに住むのだ。
浅香の納得いっていないような表情を見てエルレシアは補足を入れた。

「エルフは今はある森にまとまって住んでいるのです。ここからもっと北の『聖なる森』とかなんとか言われている森なのですが……そこ以外の森なら少しずつ切ってもいいということになったのです」

ヨーロッパの森林は中世のうちのある200年の間に現在の面積くらいまで減ったという。こっちの世界では規制がなされている分その時のペースよりは遅いであろうが、それでもやはり森が無くなるのは時間の問題だ。

森が無くなる前に木炭に変わる燃料、例えば石炭へと転換が始まるだろうか。あちらの世界ではそうはならなかった。森林資源が枯渇したから、石炭が使われはじめたのだ。人間は追い詰められなければ変わることができない。
いや、俺が主導して転換を行えばいいのか。異世界転生の主人公みたく。となると、そうだなまずコークス炉を造って……いやコークス炉ってどうやって造んの。そんなの知るわけない。
いや、よく考えるとそもそもこの世界には魔法があるのだ。炎の魔法くらいあるだろう。となると、あまり燃料としては木は必要とされていないのか。ここで問題になっているのは建築資材としての木なのだろうか。そもそも資源としてではなく、農地面積が足りないから森を切り開く、という話なのだろうか。うーんわからん。

浅香が勝手に頭を悩ませつつ歩いていると、ちゃんと待っていてくれたエステルのもとに辿り着いたようで、彼女がエルレシアに声をかけた。

「お疲れでしたら、馬にお乗りになりますか?」
「いえ、結構です。ありがとうございます」

エルレシアは断った。
ちょっと乗ってみたいな。浅香はそう思ったが口には出さなかった。

「お二方は……ファーラ伯領の人ではありませんよね。一体どちらからお越しになったのですか?」

エステルが訊いた。当然の疑問であった。浅香があまりにも世間知らずを晒しすぎた。
浅香は「助けてくれ」とエルレシアに目で訴えた。それを受けてエルレシアは口を開いた。

「えーと、東の方です」
「東と言うと……ベイトの方ですか」
「いえ、もっと東の、なんというか、もういっそ別の大陸です」
「別の大陸! それはまた遠いところから……」

エルレシアの嘘の稚拙さに思わず苦笑いを浮かべつつ、浅香は今の会話について考えた。
「ファーラ」とか「ベイト」とか言うのは恐らく地名だろう。ファーラ伯領ということは、そこを治めている領主がいるということだ。文脈からするとエステルの仕えている主とはそのファーラ伯爵やら男爵やらだろう。……そういや伯爵と男爵って何が違うんだっけ?
というか、よくよく考えるとこの世界の社会システムについて知らないことが多すぎる。封建制なのは分かるが、王の権力はどれくらいなのか。自由主義経済なのか。国家間の仲はどうなのか。なんにも分からない。後で色々とエルレシアに聞いておこう。

浅香が色々考えつつ歩いていると、エステルが浅香に声をかけた。

「すみませんが、少しこれを持っていて頂けませんか」

エステルはそう言って、手に持っていた槍を差し出した。浅香は、突然何だろう、と少し不思議に思いつつも槍を預かった。改めて見ると、これはいわゆるランスではなくスピアだ。馬上で使うものでは無い。森の中でアウルベアと戦うことを想定しての武器の選出だろう。
エステルは槍を手放し、自由になった手を腰の剣にかけた。

「どうかしたのですか」

浅香は尋ねた。

「向こうにゴブリンがいます」

浅香がエステルの視線の先に目を凝らすと、100mほど先に何か二足歩行の生物が複数いるのが見えた。あれがゴブリンか。遠くてよく大きさは分からないが、人間の腰くらいの高さに見える。

エステルは剣を抜き、その短い刀身を晒した。せっかく槍があると言うのに使わないのだろうか。
浅香は剣道三倍段という言葉を聞いたことがある。剣を持つものが槍や薙刀などの長物を持つ相手に勝つためには、相手の三倍の力量が必要であるということらしい。つまり、剣よりも槍の方が強いのだ。素人目にも浅香はそう思う。それに、エステルの持つ剣は明らかに通常のものより短い。それならば槍を振り回した方がリーチの関係上有利なのではないか。

「片付けて参りますので、暫くお待ちください」

エステルはそうだけ言うと、剣を片手にゴブリンたちの方へと歩き出した。

ドッ。

瞬間、そんな音がした。
そして次の瞬間には何も聞こえなくなる。
爆発。浅香は直感的にそう思った。
反射的に目をつぶった浅香の頬に爆風が吹き付け、吹き飛んできた土くれがべちべちと当たる。
なんだこれは、ゴブリンの攻撃か? いや、エステルが何かをしたのか?
耳鳴りがきぃーんと響く。やがて、パラパラと土が落ちる音が聞こえてきた。
それが落ち着いた頃を見計らい、浅香はゆっくりと目を開く。
エステルは未だ一歩目を踏み出したところに立っていた。だが、右手に握っていた剣を取り落としている。
次いで浅香は向こうのゴブリンがいた所に目を向けた。
そこには何も無かった。
跡形もない。
ただ爆心地から半径数mの土がえぐれ、クレーターのようなものができていた。

浅香はエルレシアを振り返った。エルレシアは両手を前に構えた状態でそこにいた。

「今のはメラゾーマではない……」

エルレシアはドヤ顔で言った。

「イオナズンだ……」

結構奮発してるじゃねえか。

そう軽口を叩こうとした浅香を、凄まじい悪寒が襲った。

ついさっき、エルレシアがこんなことを言っていた。
曰く、MPが足りないのでテレポートができない。
だと言うのに、今彼女はルーラどころかイオナズンに準ずる魔法を放つのに成功した。
何故こんなことが起こったのか。

簡単なことだ。
エルレシアはこうも言っていた。彼女のテレポートは瞬間移動であり、単に高速で飛ぶだけのルーラとは一線を画す、と。

確かに「爆発を起こす魔法」と「瞬間移動する魔法」はどちらも同じくらい不可能に思えるが、現象のみを捉えるとそうはならない。爆発は現代の科学でも容易に起こすことができるが、テレポートはできていない。
テレポートをするためには、つまり時空を湾曲させるためには、宇宙に存在する全エネルギーの100億倍が必要となると浅香は何かで読んだことがあった。

宇宙の100億倍。想像もつかない。
そう、エルレシアは神なのだ。
浅香は忘れていたが、エルレシアは宇宙をも超越した存在なのだ。

エルレシアは転移の前に何度か浅香にテレポートのデモンストレーションを見せている。その度に、エルレシアは宇宙100億個分のエネルギーを消費していたのだ。

恐ろしい。自分はなんて存在にタメ口を叩いていたのだろう。浅香は背筋に底冷えするような感覚を覚えた。

今のエルレシアはパンティーを失い、その無尽蔵とも言えたエネルギー量に制限を受けている。
そして少なくとも今現在彼女は、宇宙の100億倍のエネルギーに匹敵するほどの力は持ち合わせていないということは分かる。

しかし彼女は一度、パンティー無しでそれだけのエネルギーを使っているのだ。浅香を追いかけて森に来た時、彼女は明らかにテレポートを行使していた。

パンティー無しでも、エルレシアはそれくらいできたのだ。

エルレシアは、化け物だ。
パンツ穿いてなくても、化け物だ。

……

……そうだ。

でもこいつパンツ穿いてないじゃん。

なんで自分は今パンツ穿いてないやつを恐れていたんだろう。宇宙100億個分のエネルギーとかいうけど、でもパンツ穿いてないじゃん。あーよかった。こいつがパンツ穿いてなくて。これでパンツ穿いてたらどうしようもなかったけど、パンツ穿いてねーもんなー。セーフセーフ。つーか宇宙超越してるくせにパンツ穿いてないとか恥ずかしくないのかこいつは。恥を知れ、恥を。そもそもノーパンはパンツ穿いてないことを恥ずかしがってるからこそ映えるわけで、開き直ってたら何にもならねえじゃねえか。つーかそもそも、こいつパンツ穿いてないなって分かっちゃったらそこまで興奮しないだろ。もしかしてこいつパンツ穿いてないんじゃないか、ていうのがいいんだろうが。シュレディンガーだよシュレディンガー。パンツ穿いてる状態と穿いてない状態が重なり合い、実際に観測するまで事象は収束しないんだよ。確かに普通に考えれば、観測者がいなくてもパンツの有無は既に決まっているはずだし、もちろん外部からの衣服の観察、あるいは当該人物の様子を観測、そして統計処理によってパンツの有無を確定的に予想することだって可能だ。それでも、やはりそれでも、見るまでは分からんだろうが。でも、こいつは穿いてないんだ。穿いてないと分かってしまっているんだ。なんて不自由なんだろう、こいつは。絶対にパンツを穿くと主張するやつや、絶対にパンツを穿かないと標榜するやつは、パンツを穿いたり穿かなかったりするやつと比べて、明らかに不自由だ。選択の余地を欠いている。パンツに絶対優位も、ナッシュ均衡も無いんだよ。混合戦略を取れ。パンツ穿いたり穿かなかったりしろ。パンツ穿いたり穿かなかったりしろーー!!!!

エルレシアはキョトンとした様子で浅香を見ていた。
浅香は肩を震わせつつぶつぶつと「でもこいつはパンツ穿いてない。でもこいつはパンツ穿いてない……」と唱えている。
浅香の様子を見て、エルレシアは言った。

「また私何かやっちゃいました?」

さすがはお姉様です。
浅香は賞賛した。