2019年6月20日木曜日

ぬぬぬ9

「屋敷というより、城だなこりゃ」

ファーラ伯の屋敷を見上げ、その迫力に圧倒されつつ浅香は言った。

その屋敷は堀に囲まれた丘の上にあった。恐らくこの丘は自然のものではないだろうと浅香は思った。堀を掘る(?)時に出た土砂を積んだものだと思われる。

丘の下にはレンガ造りの建物が立ち並んでいた。町だ。先程浅香たちはその街道を通ってきたが、そのよく整備された様子に浅香は驚いた。道はしっかりと石畳で舗装されていたし、街路樹まで植えられている。まるで観光地だと浅香は思った。街とは言えないが町くらいなら名乗れるような、そんな規模の都市だった。
浅香はエルレシアが「最寄りの街まで80km」と言ったことを思い出す。距離的に、どう考えてもそれはここのことではない。もっと大きい都市が存在するのだろう。大手を振って街と呼べるような。

さて、浅香が城と形容したように、その屋敷は凄まじく堅牢な作りをしていた。石造りの壁が周りを取り囲み、その中に塔やらなんやらがそびえ立っている。その壁面には銃や弓矢で攻撃するためにあるであろう小窓が所々に見受けられた。明らかに敵の襲来を前提とした作りだ。
それだけなら城というよりも要塞だが、浅香がこの屋敷を城と形容した一番の理由は、屋敷そのものが物凄くでかいということだった。浅香は城といえばシンデレラ城か近所のラブホテルしか思い浮かばなかったが、前者程ではないとしても少なくとも後者以上の大きさはある。生前浅香が生活していた家の数十倍は延床面積があるだろう。掃除が大変そうだ。浅香は使用人たちの苦労に思いを馳せた。

「こちらです」

エステルが浅香とエルレシアを先導し、ずんずんと歩いていく。それを追いかけるように浅香たちは歩いた。
城壁の門をくぐり抜けると、これまたバカでかい庭が現れる。地面には芝生が敷き詰められており、綺麗に枝を切り揃えられた植木や、色とりどりの花壇が浅香たちを迎えた。この規模の庭園の手入れとは、庭師の苦労が窺える。

初めて東京に出てきた田舎者のように周りをキョロキョロと見渡しつつ浅香は歩き、たっぷり10分ほど歩いてやっと三人は屋敷の玄関扉までたどり着いた。扉まででかいのだなと浅香は思った。

「素晴らしいお庭ですね。少しこのお庭を見て回っていてもいいですか?」

エルレシアが言った。確かに浅香にも少し見て回りたい気持ちはある。

「構いませんよ。ではその間に私は主人に事の次第を伝えて参ります」

エステルはそう言って一礼すると、扉の内に入っていった。エルレシアはそれを見届けると、浅香の方に振り返る。

「ほんと、すごいお庭ですね」
「ああ、すごい」

浅香はため息をついた。目眩がする。日本の狭い土地に慣れた浅香にとっては、拒否反応が出るほどの広大さ。庭と言うより自然公園だ。

「カバン、ありがとうございました」

エルレシアは言った。突然なんのことだろうと思ったが、そう言えば自分はクソ重い背嚢を背負っていたのだったと思い出した。

「ん、ああ」
「少し貸していただけますか?」

貸すも何も元々お前のものだろう、と思いつつ浅香は背負っていた背嚢を下ろし、エルレシアに返した。するとエルレシアはそれを地面に下ろし、中身を漁り始める。

「何してるんだ?」
「お昼にしませんか? ここにレジャーシート敷いてお弁当食べたら、きっと気持ちいいですよ」

いや、人んちの庭で勝手に飯食うのはダメだろ。自然公園じゃねーんだぞ。

「……多分飯出してくれるんじゃないか?」
「あ、確かにそうですね。今はやめときますか」

もう昼時だ。この時間に客を呼び寄せたら、普通昼飯くらいは出す。エルレシアは納得しつつも残念そうに、途中まで引き出していたレジャーシートを再びしまった。

「じゃあバドミントンしましょう! バドミントン!」

エルレシアはそう言って、バドミントンのラケットとシャトルを取り出した。そのうちひとつを浅香に渡す。うーん……人様の庭でバドミントンするのは……セーフか?

「ほらほら、もうちょっとそっち行ってください」
「うーん……」

結局浅香が結論を出せないうちにバドミントンは始まった。
白いシャトルが放物線を描き、浅香のもとへと飛んでくる。別に勝負してる訳でもないので、浅香も大きく山なりにシャトルを打ち返した。小気味いい音を立てて、シャトルが浅香とエルレシアの間を往復する。
……本格的に自然公園に来てる気分になってきた。

「浅香さん、もっとちゃんと打ってくださいよ」

エルレシアが浅香の緩いショットを打ち返しつつ文句を言う。

「えー、バドミントンって本気でやったらすごい疲れるじゃん」
「疲れましょうよ」
「いや、汗だくで屋敷に入るのも失礼だろ……」

この世界シャワーとかあるんだろうか。そういやそもそも中世ヨーロッパではお湯を張った風呂に入る習慣がないと聞いたことがある。浅香はこの世界で生きていけるかどうか不安になってきた。

とは言え、確かに延々とシャトルを打ってるだけでは面白くないので、お遊び程度に試合をすることにした。その辺に生えてた木2本に紐を結びつけて、ネット代わりにする。……人んちの庭の木に紐を結びつけるのはどうなんだ……いやバドミントンしてる時点で今更か。浅香は開き直ってしっかりと紐を括りつけた。
さすがに芝生にラインを引くわけにはいかないので、その辺は適当に決めた。

「よーしいくぞー」
「ちょっと待ってください」

浅香がサーブを打とうとすると、エルレシアがそれを止める。

「罰ゲームを決めましょう」
「えぇ……めんどくせえ」

浅香は露骨に嫌そうな顔をする。浅香には罰ゲームというものにあまりいい印象も思い出もない。むしろあるやついるのか。

「語尾になんか付けるとか?」
「ちょっと軽すぎません?」
「じゃあ丸刈りとか」
「極端すぎやしません!?」
「じゃあ落とす度に爪を1枚剥ぐとかでいいか?」
「罰というより拷問ですよそれは!?」

ああ、こいつの反応面白いなあ……。エルレシアの打てば響くようなツッコミに浅香はしみじみと感動する。エルレシアは一つため息をついて言った。

「浅香さんが負けたら、私にちゃんと敬語を使ってください」

エルレシアは浅香が急に敬語をやめたのが大層気に入らなかったらしい。生意気だなこいつ、パンツ穿いてないくせに。

「じゃあお前が負けたら俺にタメ口で話せよ」
「いいでしょうとも」
「インチキは無しだぞ。魔法とか」
「もちろんです」

そうして試合が始まった。白いシャトルをひたすらに追う二人の戦いは、筆舌に尽くしがたいほどに熾烈を極めた。

「おい! 今のは入ってるだろ!」
「アウトです! ここがラインって決めたじゃないですか!」
「だから今その中に入っただろうが!」
「いーや、外でしたね!」

「あ! 今サーブの時足が浮いてましたよね! 反則ですよ!」
「はあ? 知らねえよそんなルール! それ言ったらお前だってずっと上からサーブ打ってるだろ! 反則だぞ反則!」
「あー! ライン踏んでるー! やーい反則ー!」

「今のはネットの下通ってたぞ!」
「いえ、どこからどう見ても上でした!」
「明らかにこの紐に当たって下に落ちてただろ!」
「だから! この上をギリギリカスリつつ通って下に落ちたんですよ!」
「あー分かった! お前バカだな!? バーカバーカ!」
「はああああああああ!? 自分の都合が悪くなったら人格攻撃ですか! 最低ですね!」

実に爽やかである。
スポーツマンシップに則り、そうして浅香とエルレシアがネットを挟んで睨み合っているとき、ふと浅香は第三者の視線を感じた。浅香がその気配の先を見ると、一人の少女が物珍しそうに浅香たちを見ていた。ここで働いている使用人の子供だろうか。

「おーい少年! 一緒にやろうぜ!」
「あ、自分が負けそうだからって……」

エルレシアの文句を無視し浅香は少女に向かって手招きする。少女はそれを見ていそいそと走り寄ってきた。浅香はその手にしっかりとラケットを握らせる。

「いいか、この棒でこの白いのを打って、あの綺麗なねーちゃんの顔にぶち込むんだ」
「うん!」
「子供を使うのはやめてください!」

浅香がある程度ルールとラケットの振り方を指導すると、少女は数分後には達者にシャトルを打ち始めた。浅香たちが「楽しそうに」「和気あいあいと」やっているのを見て、ある程度学習したのであろう。浅香が筋がいいと褒めると、少女は満面の笑みを浮かべた。さすがのエルレシアも子供相手となると、高く山なりに打球を返していた。

浅香は即席のコートから離れ、玄関扉辺りからシャトルの行方を見守り始めた。
正直浅香はだいぶ疲れていた。20kgの荷物を背負って5km近くを歩き通し、その後に休憩無しで本気のバドミントンを行ったのだから当然である。
エルレシアが恨みがましげに浅香を見た。子供の体力は無尽蔵だ。せいぜいぶっ倒れるまでバドミントンに興じるがいい。浅香は口元に薄ら寒い笑みを浮かべた。

しばらくそうして和やかなバドミントンを観察していると、玄関の方からバタバタと音が聞こえてきた。間もなく扉からエステルが姿を現した。

「エステルさん」
「あ、浅香さん、お待たせしまして申し訳ございません!」

エステルは玉のような汗を顔に浮かべていた。その顔は青い。彼女がかいているのは冷や汗のようだ。

「どうかしたのですか。随分と忙しそうですが……」
「それが、屋敷の中に閣下の姿が見えないのです」

まあこんなに広い屋敷だと人を探すのも一苦労だろうなあ、と浅香は思う。「時間ならありますから待ちますよ」と浅香が言おうとした時、エステルの視線が自分の背後に向いているのに気づいた。無論、浅香の後ろではほのぼのとバドミントンが行われている。

「ああ、すみませんお庭で勝手に遊んでいて……これは──」
「か、閣下……!」

エステルは驚きの色を隠さず言った。
閣下? 恐らくエステルの主人のことだろう。今、出先から帰ってきたところなのだろうか。とりあえずご尊顔を拝見しようか、と浅香は振り返り門の方を見る。
しかし、そこにはやはりシャトルを追いかける二人の姿しかない。

「おー、エステル! 楽しいぞ、これ!」

少女がこちらを横目に、満面の笑みで言った。

あー、これは、文脈からすると……。浅香はエステルの方に視線を戻す。エステルは、何か諦めたような顔をしていたが、やがて口を開いた。

「……あちらが我が主、ファーラ伯クロエ様です」

クロエは楽しそうに白いシャトルを見上げ、追いかけていた。

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