2019年6月19日水曜日

ぬぬぬ6

「ところで、何でいつの間にか敬語じゃなくなってるんですか?」
「うーん……段々とそこまで敬わなくてもいいやつなんだなって分かってきたというか……」
「失礼な!」
「なんでこいつパンツ穿いて無いのに偉そうなんだろう……とか、なんで自分がパンツ握ってる相手に畏まらなきゃいけないんだ、みたいな……」
「た、確かに……」

浅香とエルレシアが歩き始めて数十分が経っていた。
何度か魔物とも遭遇した。角が生えた兎や馬鹿でかい鼠など、割と多種多様な魔物がいた。だがその全ては浅香がパンティーをチラつかせると(いわゆるパンチラ)そそくさと逃げ出したので、アウルベア以来戦闘はしていない。
そして今も周りに魔物がいるらしかった。浅香たちが移動するにつれ、周りの茂みがガサガサと鳴る。1匹ではなく複数がいるようだ。

「今度は何だ?」
「ダイアウルフでしょう」
「……ダイアウルフって、あっちの世界では絶滅してるやつ?」
「それとは別と考えてください。魔物です」
「ふうん」

浅香はパンティーを掲げた。すると周りの気配はガサガサと音を立てて消えた。

「……便利だなこれ」
「……人の下着をそう見せびらかさないでもらえますか」

もっともな話だが、この状況ではそんなこと言ってられない。
このパンティーには魔物を払う効果もあるらしい。ある程度意思を持つ魔物ならば、これを見れば逃げ出すようだ。アウルベアがこのパンティーを目にした瞬間明らかに逃げ腰になったのもそのせいなのだろう。

「ところで魔物って動物ベースのやつしかいないの。さっきから獣の形をしてるやつしか見ないけど」
「いえそんなことはありません。いますよ、スライムとか」
「へえ。強い?」
「強いですね。剣とかが通用しませんし」
「やっぱドラクエとは違うんだ」
「まああのスライムはスライムというよりゼリーですよね。ぷるぷる言ってるし」

和やかに魔物談義をしつつ歩みを進める。緊張感が無いように思えるが、本当に緊張感が無い。エルレシアはほとんどピクニック気分のようだ。鼻歌交じりに歩いている。浅香はハイキングのような気持ちで周りの景色を見物していた。ピクニックとハイキングの違いは食事目的か否かであるが、実際エルレシアの背嚢の中には弁当が入っているらしかった。「あとで食べましょうねー」とか言ってた。

そんなふうに気楽に歩いていた2人だったが、遠くに動く影を見つけ、気を引き締めた。 人の背丈くらいの大きさの何かが、こちらに向かって歩いているようだった。
まさかまたアウルベアか。浅香はパンティーを強く握りしめて戦闘に備える。

だが近づいて様子を探ると、どうやらその影は人間であるらしいことが分かった。腰に剣をぶら下げ、手には槍のような長物を持っている。浅香がとりあえず魔物ではなくて少し安心していると、向こうもこちらの姿を発見したらしく、こちらに走り寄ってきた。浅香はそれを見てパンティーをズボンのポケットにねじ込んだ。さすがにパンツを片手に握っている姿を人に見せるのは恥ずかしかった。

「お二方はこんなところで何をなさっているのですか!?」

その人物は憔悴した様子で浅香たちに尋ねた。
女性だった。鮮やかな色のタバードの下に鎖帷子を着込んでいて、布製のフードの上に鎖帷子が頭まで覆っていた。それで十分ということなのか、兜は被っておらず顔は隠されていない。碧翠の眼が特徴的だ。フードに収まらなかったらしい金髪が、顔の横に垂れ下がっている。

「散歩ですね」

エルレシアが能天気に言った。

「散歩って……ここ森ですよ?」

怪訝な表情を浮かべつつ女が言う。

「森林浴です。ね、浅香さん」

突然振るなよと思いつつ浅香は頷いた。

目の前の女は浅香とエルレシアの姿を上から下まで確認するような仕草を見せた。浅香も自分の格好を検める。高校の制服のブレザーだ。死んだ時の格好そのままである。
もしかすると、この女性は自分たちのことをやんごとなき人物だと疑っているのではないか。浅香はそう思った。浅香の着ている制服は、この世界の服飾産業から鑑みるに生地や縫製が良すぎるのかも知れない。

「とにかく、早くここから避難してください」

女は視線を上げると言った。その声からはやはり焦りが滲み出ている。

「何かあったんですか?」

浅香は尋ねた。

「この森でアウルベアの出現が確認されました。この森のそばの村が襲われたのです。一刻も早い対処が必要とされています」

アウルベア。浅香とエルレシアは顔を見合わせた。

「複数ですか?」

エルレシアが訊いた。

「いえ、今のところは分かりません。ですがアウルベアは普通群れを作りませんから、一体であると考えています」

話を聞く限り、アウルベアとは出現すると大きな騒ぎになるような魔物であったらしい。ボスモンスターみたいな感じだろうか。この女は、恐らくそれを討伐する使命を受けてここに来たのだ。もしかすると冒険者というやつかもしらない。

それを踏まえると、正直に言っていいものか悩ましく思える。「既に倒したので大丈夫ですよ」とか言ったら、ほぼ確実に「どうやってですか?」と訊かれる。まさか「このパンティーでしばきました」とは言えない。

「あ、なら大丈夫ですよ。浅香さんが倒しちゃいましたから」

エルレシアはそう言ってこちらに向き直り、「ね」と言った。
おい。
女の視線が浅香の方に向かう。

「浅香さん……と仰られるのですね。あなたがアウルベアを討伐された、というのは……本当でしょうか?」

疑いの眼差しを向けられ、浅香は思わず苦笑いした。
浅香は素手だ。武器になるようなものを持っているようには見えないだろう。実際にはズボンのポケットに隠しているのだが。武器を。

「ええ、まあ本当です」

浅香はそれを認めた。ここで変に嘘をつくとあとでこまりそうだと考えた。

「何か証拠になるものはありますか。いえ、あなた達が討伐したということを疑っている訳では無いのです。ただ、討伐が為されたのならその証拠となるものが民を安心させるために必要ですので……」

いや、明らかに疑ってるだろ。浅香は密かにツッコミを入れる。目の前の女がひどく申し訳なさそうな顔を浮かべているので、疑われていることについては別段気に障らなかった。

「死体がまだ残っていると思いますが……」

この世界の魔物は殺しても塵や灰になって消えるということはない。他の魔物に死体を食われている可能性はあるかもしれないが、つい数十分前のことだ。まだ残骸くらいは残っているだろう。

「では、そちらに案内して頂けますか?」

浅香は仕方なく頷いた。今まで来た道なき道を逆になぞることを考えると、ものすごく憂鬱になった。



「た、確かにアウルベアですね……」

数十分歩き、浅香たちは現場に戻ってきていた。
幸いと言うべきか死体は食い漁られてはおらず、しっかりと原形を保っている。女は死体に平然とすたすたと近付いて、色々と検証を始めた。

「どうやって倒されたのですか?」

そう訊かれることは予想済みだった。浅香は何度も脳内でシミュレーションしてきた受け答えをそのまま発した。

「魔法です」
「……魔法というと、どのような……」
「魔法です」

それ以上言うことは無いといったふうに浅香が言うと、女は諦めたようで「そうですか……」と言った。
続いて女は死体の頭部のそばに屈むと腰の剣を抜いた。いざ彼女が剣を抜くまで気づかなかったが、その刀身は短い。小太刀くらいの刃渡りだろうか、武器として使うには少し心許なく感じる長さである。
彼女は手に持っていた槍を地面に置くと、その短い剣を使って死体の顔に生えた飾り羽を切り取った。戦っている時は気が付かなかったが、羽角があるということはこいつはフクロウではなくてミミズクだったらしい。どうでもいいけど。

「この度は、ご協力ありがとうございました」

女はすくと立ち上がると、片足を引きもう片足を軽く曲げた。頭を下げることはしない。これはいわゆるカーテシーというやつだろうか。浅香はそう考えつつ、とりあえず答礼として軽くお辞儀をした。それが正しい礼儀なのかは分からなかったが、女は何も言うことなく佇まいを正す。

「何かお礼の品を差し上げたいのですが、生憎なんの用意もありませんので……一度私の主人の領地まで足を運んでいただけますでしょうか?」

主人の屋敷という言葉が出た。主人とはまさか夫のことではあるまい。文字通り主だろう。この女は騎士か何かなのだろうか。
浅香は騎士には貴族が多いということを聞いたことがあった。騎士として活動するための武具の調達や整備にはとにかく金がかかるので、貴族でないとやってけないのだという。すると目の前の彼女も貴族なのかもしれない。

「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいですか」

浅香は名前を尋ねた。名前から大体貴族かどうかがわかる、ということも聞いたことがあった。

「まだ名乗っておりませんでしたか。こちらこそ失礼致しました」

女は姿勢を正す。

「私はエステル・レーヌ・イヴェット・アリストと申します」

……長い。どこまでが名前でどこからが苗字なんだ。浅香が明らかに困っているのを見てか、エルレシアが小さく耳打ちで助け舟を出した。

「最後のアリストが苗字みたいなものです。大体祖先の名前ですね。あとは全て彼女の名前です。この世界では、名付けに悩んだら候補を全て名前にしてしまうのです」

なんて大雑把な名付け制度……。

「基本的に最初の名前が主な名前となります。エステルさんと呼べばいいでしょう」

いきなり名前呼びとはいささか馴れ馴れしい気がするが、まあそういう文化なのだろう。
それにしても、エステル・レーヌ・イヴェット・アリストか。フルネームに「ド」とか「フォン」とかが付くと貴族だと聞いていたが、それが無いということは彼女は貴族ではないということなのか。そもそもそれは自分が住んでいた世界での話なのだから、こちらでは通用しないと見た方がよいのだろうか。

「エステルさんですね。私は浅香伊織と申します」

浅香はそう言って頭を下げた。そして後から、伊織浅香と名乗らなくてはいけなかったのではないかと思い至った。このままでは浅香が名前になってしまう。

「私は……マリー・アントワネットです」

エルレシアはそう名乗った。浅香は吹き出しかけた。いかにも偽名だが、エステルには不自然に感じるところもないようで、訝しむこともなく「お二方とも、よろしくお願いしますね」と言った。

何故エルレシアは突然偽名を名乗ったのだろうと思ったが、よく考えると当然だ。
エルレシアは神なのだ。そしてエルレシアというのは神の名前なのだ。神の名前を名乗るやつなんかいたら怪し過ぎる。偽名を名乗るのは当然の措置と言える。
だとしてもマリー・アントワネットは、ない。浅香はエルレシアの肩を肘で軽くついた。エルレシアは苦笑いを思い浮かべていた。咄嗟に思いついた名前がそれしか無かったのだろう。

「では浅香さん、マリーさん、ついてきて頂けますか?」

エステルが言った。ここで断るのも不自然だろうから、浅香は頷いた。別に今のところ何の予定もないのだ。街に行くにしても距離が遠すぎてどうしようかと言うところだったので、とりあえずの目標ができて安心すらする。

「ところで、エステルさんの主人の領地までは、どれくらいの距離があるのでしょうか」
「この森も領地の一部です。屋敷まででしたら、まずこの森から出るのにここから20分歩いて、そこから少し距離がありますが、10分ほどで着くでしょう」

ということは歩くのは約30分だ。その言葉に浅香は安堵した。30分なら大丈夫。30分なら……。
その時、浅香の脳裏に嫌な予感がよぎった。
エステルは30分だと言ったが、具体的な距離が出てきていない。

「えーと、歩いて、30分で着くんですよね?」

浅香は恐る恐る訊いた。

「森の外に出たあとは馬ですが」

お馬さん!

「お二方は徒歩でここまで……?」

エステルが驚いた顔をする。

馬は歩けば人間の歩きとそう速度は変わらないが、エステルは間違いなくその意味では言っていない。馬を走らせて10分だ。馬が走れば軽く時速30kmは出る。そうなると少なく見積っても5kmの距離があることになる。

大阪駅から淡路くらいだ。歩けないことは無い。いけないことは無いというのが腹立たしい。だが現代人にとって5kmは遠い。遠いのだ。

ああ文明が懐かしい。浅香はJRの偉大さに今更ながら敬意を抱いたのだった。

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