2019年6月20日木曜日

ぬぬぬ8

「い、今のはマリーさんの魔法ですか?」

エステルが落とした剣を拾うことも忘れて、こちらに振り返りつつ言った。その顔からは完全に血の気が失せている。 鳩がアハトアハトを食らったような顔だ。

「ええ……どうかしましたか? 顔色がよくないですが……」

エルレシアは心配そうにエステルの体調を気遣う。

「あの、威力がおかしいと思うのですが……」

エステルは恐る恐るそう口にした。エルレシアはそれを聞くと、不安げな顔を浅香の耳元に寄せる。

「おかしいって、弱すぎって意味ですよね?」

しばいたろかこいつ。

「お前、手加減ってやつを知らんのか」
「手加減しましたよ。本気で」
「なんでその上で選択するのがイオナズンなんだよ。明らかに過剰火力だろ」
「ガンガンいこうぜじゃなかったんですか」
「今から作戦変えるわ。めいれいさせろ」

確かに、エルレシアはきちんと手加減をしたのだろうと浅香は思った。エルレシアの「本気」からすると、今の爆発は余りにも小規模だ。エルレシアが本気を出せばビッグバンだろうがビッグクランチだろうが容易に引き起こせるだろう。それと比べると、今の魔法はまだ人間の域に収まっているように思える。
にしても、やりすぎだ。この世界の魔法についてほとんど知らない浅香だったが、あのレベルの爆発を涼しい顔して起こすことができる人間は限られているだろうことは分かる。

エステルは色の無い唇を震わせつつ言った。

「今の魔法は明らかに上級魔法以上の威力でしたが、それを無詠唱とは……」
「すみません、ビックリさせてしまいましたか。撃つ前にお伝えしておけばよかったですね」

エルレシアがズレた謝罪をする。

「いや、まあ突然爆発が起きて驚きましたが、そういう問題では……」

エステルはそこまで言って、ふと何かに気が付いたような表情を浮かべた。そこからは早かった。彼女は洗練された素早い動きで跪いたのだ。

「し、失礼いたしました! お二方は、名のある魔術師様だったのですね!」
「え」

エルレシアが呆けたような声を出す。

「アウルベアを無傷で討伐されていることから気づくべきでした。ご尊顔もご芳名も存じ上げておりませんでしたのは、私の不勉強のためです。どうかお許しください!」

エステルは顔を上げることなく言った。エルレシアは困ったような顔を浮かべ、浅香に目線を送る。浅香はそれを受けて、言わんこっちゃない、とため息をついた。

「あー、顔を上げてください」

浅香はエステルの前にしゃがみこんで言った。エステルは素直に顔を上げた。
近くで見ると整った顔だ。エルレシアの神がかった容姿とは趣向が違うが、普通に可愛らしい。年の頃は浅香とそう変わらないのではないか。浅香はそんなことを考えながら口を開いた。

「あなたが私たちの顔を知らないのは当然です。先ほど彼女が言った通り、私たちは東の大陸から来たのですから」

ちょうどこの先の身の振り方をどうするか迷っていたところだ。そういう設定にしよう。俺たちは他の大陸から来た魔法使い。世間知らずなのはご愛嬌、ということで。

「それに私たちは何か功をあげたということもないので、名のある魔術師というわけではありません。ですのでそこまで畏まる必要はありませんよ」
「では──」

エステルが何か言おうとしたのを、浅香は彼女の顔の前に手を近づけて制した。

「あなたが言いたいことは分かります。ですが今はそれを飲み込んでください」

別に何を言わんとしたのかは知らんが、そういう風に言ってみる。こうしておけば、何かしら人に言えないような事情があるんだろうと察してくれるだろう。実際それが効いたのか、エステルはそれ以上何も言うことなく「……承知いたしました」とだけ言った。

「ほら立ってください。早くあなたのご主人の屋敷に向かいましょう」
「そ、そうですね。失礼いたしました」

俺の催促にエステルは慌てた様子で立ちあがると、退屈そうに草を食んでいた馬の手綱を引いて歩き始めた。

「嘘がお上手なんですね」

エルレシアが浅香の横まできて、皮肉めいた口調で言った。真面目な顔をして嘘を並べる浅香がおかしかったのだろう、その口元には薄い笑みを浮かべている。

「先に嘘ついたのはお前だ。何だよ東の大陸って」
「咄嗟に思い付いた設定がそれしかなかったんですから仕方ないじゃないですか。それとも記憶喪失の方がよかったですか?」
「陳腐だな。手垢ベタベタじゃないか」
「王道だと言ってください」

まあ記憶喪失よりは異邦人だって方が説得力はあるかもしれない。
ただ異邦人という設定には大きなリスクが存在する。「同郷」の人間が現れた場合だ。そこで話に齟齬が出ると致命的だ。一気にボロを出すことになるだろう。
ならいっそ最初から真実を話してしまえばよかったのではないか。

「転移してきたってばらしちゃうのはダメだったのか?」
「浅香さんが不審者に言われたらどう思います? 私は他の世界から来たんだって」
「こいつやべえやつだなって思う」
「ですよね」

それもそうだ、と浅香は納得した。
そして浅香は前を歩くエステルの背中に目を向けた。彼女はどれだけ今の設定を信じてくれただろうか。
彼女の立場からすると、自分たちはどう見えるだろう。任務を遂行しようと森に向かったら、妙な服を着ている男女二人が先に目標を倒してしまっていて、そいつらは物凄い魔法を使える。どうやら二人は東の大陸から来たようで、彼らがここにいたことには、人には言えないような理由があるらしい……。
怪しい。設定を疑うとかじゃなくて、設定を受け入れた上で怪しい。人に言えない理由ってなんだよ。スパイか何かにしか思えねーぞ。
ここは不信感を拭うために和やかにコミュニケーションを取るべきだろう。浅香はエステルに向かって口を開いた。

「エステルさんのご主人とは、一体どのような方ですか」

なんかスパイが内情を探ろうとしてるようにしか聞こえんぞ。浅香の反省をよそに、エステルは浅香の方に振り向いて言った。。

「ファーラ卿ですか。どのような、と聞かれると困ってしまいますね……」

実際エステルは困ったような笑いを浮かべていた。
エステルは主人をファーラ卿と呼んだ。卿とは確か「ロード」のことで、侯爵やら伯爵やらに付くはずだ。ファーラは先のエルレシアとエステルの会話からするとここの地名。つまりファーラ卿はここファーラを治める大名、いやどちらかというと守護地頭みたいな? まあともかくそんな感じだろう。

「立派な方ですよ。聡明ですし、それに民の声をよく聞く、よき為政者です」

豚みたいに肥えた悪徳領主、みたいなのではないんだな。政治家と聞くとそういうイメージが浮かんでしまうのは何故だろう。

「エステルさんはジュウキシなのですか?」

エルレシアが訊いた。
重騎士? どこからどうみても軽装だけど……。エステルは鎧を着ていない。鎖帷子だけだ。騎士といえばプレートメイルでガチガチに防御を固めているイメージがあるが、エステルの姿はその真逆にある。

「ええ。まだ17ですから……」

あ、ジュウキシって従騎士か。恐らく騎士見習いみたいな感じだろう。だから鎧をつけていないのだろうか。

「私と一つ違いなんですね」

浅香が言った。エステルは意外そうな顔をする。

「え、そうなんですか」
「そんなに老けて見えますか……?」
「い、いえ、そういうわけでは……」

エステルが慌てて弁明しようとする。
確かに生前にも老けてる老けてるとは言われていた。何度か高校で生徒の父兄だと間違えられたこともあるくらいだ。まあ別に気にしていない。気にしてないけど。

「そんなにお強いのに、まだ18歳とは思わなかっただけで……」
「16歳です」
「す、すいません……」

気にしてないけどさあ!
横でエルレシアがクスクスと笑っているのが見える。むかつくな、パンツ穿いてないくせに。……そういえばこいつは何歳なんだろう。神様だしな……あまり触れない方がいい話題かもしれない。

というか「お強い」って、いつの間にか自分もエルレシアと同等の戦闘能力を有していると思われているんじゃないか。確かにアウルベアとやらは倒したけど、それはチート染みたパンティーあっての勝利であったし、なによりパンティー込みでもエルレシアの能力には全く届かない。……まあ強いと思ってくれてる分にはいいか。なんとなく気分いいし。

浅香が色々考えていると、いつの間にか会話が途切れていた。何となく気まずい雰囲気が漂っている。何か話題を探さないと。そうだ、女の子と話すときはとりあえず服とかを誉めればいいっておじいちゃんが言ってた。浅香は早速先人の教えを実行に移す。

「そのお召し物、いいですね」
「本当ですか!?」

エステルが急に浅香の方に距離を詰めてくる。予想以上の食いつきに、浅香は一歩後ずさった。

「え、ええ。確かそれってタバードって――」
「いいですよね! チェーンメイル!」

そっちかよ。 エステルは嬉しそうに続けた。

「他の騎士たちはみんなプレートアーマーの方がいいって言うんですよね。確かに全身に装甲があるのは安心感あるかもしれないですけど、あれめちゃくちゃ重いし、暑いんですよ! 兜とか装備すると夏場とか暑いわ蒸れるわ、息苦しいわ周りよく見えないわ、それに音とか何も聞こえないわでほんと最悪で……しかもそれ我慢して着ても、大した防御力じゃないんですよ。矢とか普通に刺さりますし、魔物の爪とかゴブリンの棍棒とかで叩かれたら、ものすっごく痛いんですよ! それでへこんだりするたびに修理しないといけませんし、お金がかかるったらありゃしない!」
「は、はあ……」
「それで一番最悪なのがですね、値段です! 高い! オーダーメイドだから仕方ないのかもしれませんが、信じられないくらい高いんですよ。もうアホかと!」

なんか知らんがエステルは鎧の愚痴を吐き出し始めた。立て板に水、というよりダムの放水と言った感じで一方的にまくしたててくる。浅香としては鎧の着心地の話など知らないので、適当に相槌を打つことしかできない。

「その点鎖帷子はいいですよ。まあ矢とかには無力ですが、刃物相手には十分な防御力がありますし、動きやすいんです。それに何より安い! 浅香さんもその服の下に着こんでみてはいかがでしょう!」
「ま、まあ考えておきます」

通販番組か。
浅香が圧倒されながらも頷くと、エステルは満足げに引き下がった。
好きなジャンルの話になると途端に饒舌になるやつっているよな……。浅香は今後エステルに装備関係の話を振らないことを決意した。

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