2019年7月3日水曜日

ぬぬぬ10

「いやーうちの庭でなにか妙なことをしてる奴らがいると思ったら、まさか客だったとはなあ」
「恐縮の限りでございます……」
「あの遊び、なんて言うの?」
「バドミントンと申します」
「バトミントンかあ」
「恐縮ながらバドミントンです、閣下」
「そっかあ……あとでまた庭でバトろうな」

戦闘狂みたいになっております、閣下。

浅香たちは屋敷の応接室のようなところに通され、バカでかいソファに腰掛けていた。目の前のテーブルには洒落た装飾のなされたソーサーとカップが置かれている。カップの中では紅い液体が澄ましたように揺れていた。

浅香は部屋を見渡す。部屋にはロココ調を思わせる豪華絢爛で手の込んだ装飾がなされていた。ロココ調……中世ヨーロッパ風じゃなかったのか? まあ「風」だし。と浅香は勝手に納得する。

浅香の正面にはテーブルを挟んでこの屋敷の主人、ファーラ伯クロエが座っていた。彼女はテーブルにある小瓶から真っ白い角砂糖を2個ほど入れると(言うまでもなく中世ヨーロッパに角砂糖など無い。いっそ紅茶すら無い)、洗練された手つきでカップを持ち上げる。幼少期からの訓練のたまものだろう、その動作からは確かに気品を感じられる。彼女はまだランドセルを背負っているような年齢だというのに。
自分が彼女くらいの歳の時何をしていただろうか。多分うんことかちんことか言ってバカ笑いしていたころだ。……いや今でも言ってるな。そしてなおバカ笑いもしているな。もしかして小学生の時から精神的には成長してないんじゃないか、自分。

浅香が自らの精神性を分析していると、エルレシアが問いかけてきた。

「いくつですか?」
「え、16だけど」
「いや歳じゃなくて」
「ああ、175だよ」
「身長でもなくて!」
「じゃあ、26.5」
「靴のサイズでもありません! 角砂糖の数です!」

ああなるほど。
得心したように浅香が頷いて「一つで」と言うと、エルレシアは角砂糖を一つカップに落とした。カップの水面に波紋が揺れる。スプーンで掻き回すと、砂糖の塊はみるみるうちに姿を消した。
エルレシアに礼を言って視線を前に向けると、クロエが愉快そうに口元を歪めている。

「仲良しだな」

クロエは言った。
今日会ったばっかりなんだけど、確かにエルレシアとはだいぶ息が合っている気がする。漫才コンビでも結成するか。エルレシアに視線を向けると「いやあ……」と照れ照れしていた。こうも照れられると浅香も何だか気恥ずかしくなってくる。
浅香は照れ隠しのようにカップの中の紅茶を呷った。何となくダージリンっぽい味がした。この世界にはダージリン地方なんてないだろうけど。

「とりあえず自己紹介しようか。私はクロエ・ノエル・キトリー・ディディエ。一応伯爵をやってる」

クロエは言った。
伯爵。伯爵令嬢じゃなくて、伯爵。伯爵ってどれだけ偉いんだっけ。確か上から公爵、侯爵、伯爵。
えらい。えらすぎる。えらいぞこの幼女。幼女のくせに領地を1つ任されているというのか。

「浅香伊織です」

幼女の予想以上のえらさに感嘆しつつも名乗る。

「マリー・アントワネットです」

浅香は口元を若干引き攣らせつつも、何とか笑わなかった。

「それで、君たちがあのフクロウを倒してくれたんだよな」

フクロウじゃなくてミミズクであります、閣下。まあわざわざ突っ込むべきところでもないので、浅香は「はい」とだけ言う。

「浅香さん単独ですけどね」
「おお、単独で! それはすごい!」

エルレシアが要らぬ横槍を刺し、クロエの目が輝いた。やはり単独討伐は難しい魔物だったらしい。
そう言えば、なら何故エステルは一人で森に来ていたのだろう。それほど強い魔物ならば、騎士団でも引き連れて行けばよいだろうに。浅香はクロエの後ろに控えているエステルに目を向ける。エステルは浅香の視線に気づくと、小さく頷くように会釈した。

「それで、どうやって倒した?」

クロエは期待するような目で少し前のめりになる。浅香は予め用意していた回答をそのまま口にする。

「魔法です」
「どんなだ?」
「魔法です」
「だから、どんなだ」

浅香のゴリ押しにも動じず、クロエはしつこく訊いた。
ここまで突っ込まれるとは予想外だったが、しかしまあ当たり前でもある。「魔法で倒した」という言葉には精々「打撃で倒した」と同じくらいの情報量しかない。そりゃ「いやどうやって倒したんだよ」と聞きたくもなる。以前エステルが突っ込んでこなかったのは、恐らく怪しい人間を無意味に刺激しない方がいいという判断だったのだろう。

浅香は考える。まず「パンティーでしばきました」と素直に言うのはどうだろう。実際にパンティーが汚れを落とすところを実演して見せれば、彼女らも納得……しない。洗剤の実演販売か何かかと思われるだけだ。それ以前にまず恥ずかしすぎる。
そもそも浅香はエステルに「魔法で倒した」と言ってしまっているのだ。ここで証言を変えるのは不自然だ。何か魔法をでっち上げた方がよいだろう。
アウルベアは上半身と下半身を分断されて死んだ。死体はエステルも確認している。その死に様にふさわしい殺害方法とはなんだろう。浅香は暫く考えたのち、口を開いた。

「……風の魔法です」

対象を切断する魔法といえばカマイタチだ。というかそれくらいしか思い浮かばない。これにはクロエも納得するだろうと浅香は思ったが、それに反してクロエは不思議そうな顔を浮かべた。

「どうやって風の魔法でアウルベアを真っ二つに?」

アウルベアの死体の有様についてエステルから報告を受けていたのだろう、クロエはそんな疑問を口にした。
浅香はカマイタチの起こる原理を思い出そうとする。確か真空がうんぬんかんぬん……。とりあえず思いつくままに口に出してみる。

「えーと、真空を作り出して……」
「出して?」

クロエが相槌のように先を促す。

「気圧差で……」
「気圧差で?」
「……どうなるんでしょうか?」
「私に訊くなよ……」

カマイタチってどうやって発生するんだ……? 浅香が頭を悩ませていると、クロエはため息をひとつついて、ソファに深く座り込んだ。

「あまり手の内を晒したくない、ということかな?」

口元を歪めてクロエは言った。その表情はあまりにも幼女らしくない。なんだか全て見透かされているような気がする。
事実その通りあまり晒したくないものをポケットに入れているので、浅香が苦笑いを浮かべると、クロエの視線はエルレシアの方に向かった。

「そちらの、マリーさんとやらは大規模な爆発魔法を詠唱無しで使ったとか?」
「はい。ドカンと」
「魔法、得意?」
「それなりに」

エルレシアは言葉とは裏腹に自信満々の表情を浮かべ言った。クロエはしばらく何かを探ろうとするようにエルレシアの顔を眺めていたが、やがて諦めたような顔をして呟いた。

「なるほど」

彼女は自分たちのことをどのように見ているのだろうか。浅香は思う。わざわざ屋敷に入れて茶まで出してくれているのだから、少なくともすぐに害をなすとは思われていないのだろう。だがこうして事情聴取を受けていることを考えるとそこまで信用もされていない。当たり前だが。
浅香がクロエの顔色を窺っていると、クロエは口を開いた。

「まあいいや。この度は協力ありがとう。何か褒美っていうかお礼をあげることになるんだけど、なんか欲しいものある?」

褒美。そう言えば、別に悪いことをして連れてこられたわけじゃないのだ。礼をやるからついてきてくれとエステルが言ったからここまで来たのだった。間違っても事情聴取されにここまでやってきたわけじゃない。浅香は今になってそんなことを思い出した。
さて、褒美か。別にお礼が欲しくてやったことでもないが、ここで「礼なんていらない」なんて言うのはおかしい。じゃあなんでここまでついてきたんだって話だ。浅香は何が欲しいか考える。

ぐう。

間の抜けた音が浅香の腹から鳴る。そう言えば、昨日の晩飯前に死んでから何も口に入れていない。その状態からさらにアウルベアとの戦闘、5kmの行軍、エルレシアとの死闘を重ね、浅香の胃袋はぐるると呻いていた。

「昼食ならちゃんと出るから安心していいぞ」

笑いながらクロエが言う。
さて、マズローの自己実現理論によれば、生理の欲求が満たされた人間が次に求めるのは安全である。浅香は口を開く。

「……となると、今一番欲しいのは、寝床ですね」
「寝床? ベッドでも欲しいのか?」
「いや、宿がないんですよ」

そもそも金が無い。エルレシアに頼めばいくらでも出てきそうだがそれは最後の手段にしたい、男として。

「ああ、そうか。東の大陸から旅をしているんだったか」

クロエは納得したかのように手を打った。嘘の設定で騙しているのが若干後ろめたい。

「ですからどこかの宿を斡旋して頂ければ──」

浅香が言おうとしたのを途中でクロエが遮る。

「じゃあここに住めばいい。確か部屋も余ってるし……そうだったよなエステル?」
「はい」
「じゃあ適当に部屋を見繕おう」

あれよあれよという間に事がぽんぽん決まっていく。浅香が口を挟むことも出来ず傍から話を聞いている間に、2階の一番端の部屋を使えることになった。

「いやー、あの部屋は見晴らしがいいぞ。この屋敷が丘の上に建っているのもあって、一面の大草原が見渡せる。いつ敵が押し寄せてきても早期発見ができるな!」

クロエはそう言って笑った。笑っていい冗談なのかどうか測りかねたが、浅香もとりあえず笑っておいた。



こんな贅沢なものを食べていいのだろうか。浅香は思った。
生前の浅香は外食というものをほとんどしなかった。したとしてもファストフードかファミレスくらいだ。浅香は一食に1500円以上を支払うのはブルジョワのすることだと考えていた。
それが、今彼の目の前に並んでいる料理はどうだ。華美たる装飾がなされた皿に、なんかもう意味わからんくらいすごい料理が乗っている。極め付きに、浅香の手元にあるのは銀のナイフとフォークなのだ。ステンレスではない。

浅香がいるのは屋敷の食堂だ。リムジンみたいに長いテーブルがどんと置かれ、そのお誕生日席にクロエが居座っている。当初浅香はどこに座ればいいものかと迷っていたが、クロエが「適当なとこ座っていいよ」と言ったので適当にクロエの斜め前に腰掛けた。エルレシアは浅香の正面に座っていた。

どうすればいいのだろう、これは。浅香はとりあえずナイフとフォークを握った。目の前にはなんかよくわからん料理がある。よくわからんがいい匂いがする。なんかよくわからん肉を切って、口に運んでみる。噛み締めると、なんかよくわからん味が口の中に広がった。

「それ、アウルベアの肉だぞ」

クロエが言った。
この世界では魔物も食うのか。浅香はもう一口その肉を口に入れる。鶏肉の味ではない。ということはアウルベアはフクロウというよりもクマに近いのか。
浅香がそうして頭を悩ませていると、

「冗談だ。ただの鹿肉だよ」

とクロエが笑って言った。

「ほらワインもあるぞ。飲め飲め」

クロエに勧められるがままに、浅香はゴブレットのような食器を手に取り中の液体を口に含む。酸っぱいような甘いような苦いようなでよくわからん。味もよくわからないままに一杯飲んでから、浅香は自分が未成年であることに気が付いた。見るとクロエもワイングラスを傾けているので、別にここでは何歳でも酒を飲んでもいいのだろう。

酒が入って緊張が抜けてきたのか、それから浅香は飯を食いに食いまくった。ヤギだか豚だか羊だかなんともわからぬ肉を、ジビエ・畜産問わずぱくぱくと口に放り込んでいく。その様子を見て、クロエは目を丸くした。

「すごい勢いだ」
「彼は昨日の昼から食べてませんから」

エルレシアは行儀よく肉を切り分けつつ言う。クロエは「ふうん」と言うと興味津々といった様子で浅香の食いっぷりを眺めていた。

育ち盛り食い盛りの浅香にとって、24時間の絶食の末の飢えはほとんど拷問に近い苦痛だった。その抑え続けられてきた食欲が、今この食卓で開放されたのだ。
浅香の前で皿が続々と空になっていく。あまり一皿辺りの量は多くないので、さながらわんこそばの如く浅香は料理を平らげて行った。使用人たちが皿を下げては、新たな料理がひっきりなしに食卓に並ぶ。
その食いっぷりは、蒸気機関車がコークスを貪り食らうようだった。

「よく食うなあ」

感心したようにクロエが言う。

「ちゃんと味分かってる?」

物凄い勢いで飯を食らう浅香を面白そうに見つつクロエが問うた。
正直、よく分かってません。
口の周りをを涙か涎か肉汁か、よくわからん汁で濡らしながら、浅香は小さく首を振った。エルレシアとクロエは顔を見合わせる。

フランス料理はフランスパンくらいしか知らなかった浅香(イタリア料理はサイゼリアしか知らない)にとって、目の前のご馳走は上等すぎた。
美味い。というか、美味いということしかわからない。意味わからんくらい美味い。浅香の脳は、あまりの刺激の洪水にショートしていた。
もはや蒸気機関車というより、火力発電所だった。

「ほらビール飲めビール」
「ミードもあるぞ」
「あとなんだっけ、これウィシュケだっけ」
「ウィスキーです閣下」
「そうそうそれもあるぞ、飲め飲め」

クロエが次々と浅香のカップに酒を入れる。浅香は従順にそれをひたすら喉に流し込んでいた。さながら冷却水だ。
次第に浅香の視界はぐにゃぐにゃと曲がりだし、眠気のような感覚が霧のように薄く思考にかかり出す。周りがひどく明るく見える。だがそれでも浅香は肉を口に運び続けた。それは一種の執念だった。

浅香は幸せだった。
こんな豪華なご飯が食べられるだなんて考えたこともなかった。
全てエルレシアのおかげだ。
正確にはエルレシアのパンティーのおかげだ。
エルレシアのパンティーは神だ。自分は今日からエルレシアのパンティー教徒だ。パンティー万歳! パンティー万歳! パンティー万歳!!!

肉1.5kgを平らげ、ビールを5杯、ミードを4杯、ワインを4杯、そしてウィスキーの3杯目を飲み込んだ時、浅香発電所はその運転を停止した。
浅香の意識が暗転する。
その直後、温排水がちょっと口から漏れ出た。